別れの意味。

HOMAREです。

 

2024年12月29日
今年のAtelier HOMARE終了。

 

毎年思う、無事に終えたこの安堵感と
僅かに残された時間の行方に
想いを馳せるこの瞬間が好き。

 

灯りを消してなんとなく緊張感から解放された
サロンを眺めてみた。

 

 

 

 

レセプション、待合回り、スタッフルームに一礼。

 

 

 

フロア全体に一礼。

トイレ、シャンプーブースに一礼。

 

 

「2024年、有難うございました。」
「おかげさま、おかげさま」
「新しい年も笑顔いっぱいよろしくお願いします」

 

 

 

人生(時間)には節目(季節)が必要ね。
1年、半年、3ヶ月、1週間、1日。
春夏秋冬。

日が上り、日は暮れる。

節目節目で気づきや反省もできる。

 

 

 

12月28日早朝

突然、本当に突然に「親友」の訃報が届いた。

 

 

あまりにも突然すぎて
今でも理解できないし言葉も出ない。

 

 

 

彼(義則君)とは、生まれ故郷も
小中高と通った学校も同じだった。

 

10代の時から、義則君の魂は既に清いものだった。
夜な夜な好きな歌を唄って
その歌詞の意味を深掘りしたり
僕たちのこれからの人生はどうしていくか?
良く笑い語ったものだ。

 

高校を卒業し、僕は東京で美容師の道を進み
しばらくして彼も上京して、靴の加工職へ。

 

学生時代と違うのは
やっぱりお互いの時間の経過。

 

僕は、見習い美容師で朝昼晩と過ぎていき
義則君は、いつの間にか仕事を辞め
バックパックひとつ背負って船で上海へ。

 

その後、陸路、乗合バスと列車でモンゴル〜ネパール〜インドと
沢木耕太郎の「深夜特急」ばりにひとり旅を続けていた。

時たま、届く滞在国からの便りが嬉しかった。

 

それから、ぐるっとヨーロッパ大陸を渡り
南米ブラジルへ。

義則君の生涯を決める瞑想
指圧や鍼、精神世界の学びをし
敬愛してた作家「檀一雄」の足跡を追うように
ポルトガルに渡る。

晩年の檀一雄は、サンタ・クルスという港町に住み
カズオ・ダン通りって名前がつくくらい
地元の人たちに愛されていた。

 

 

 

僕もキューバに行った時
作家「ヘミングウェイ」が
「老人と海」を執筆してた家が記念館として
残っていたから、その著名人が土地に残した功績は
計り知れないだろうね。

 

 

「誉。僕の生まれ変わりはクリスチャンって
思うんだ。
ポルトガルからスペインへのサンティアゴの巡礼へ行き
確認してくる。
日本に帰ったら、長崎五島列島にも行くつもりだよ。
誉も五島列島行ってみてね。 何かを感じるはずだよ」

 

 

しばらくして
ポルトガルのブラガという街に
日昇庵治療院を開業。

 

 

 

 

 

西洋医学の新薬が主のヨーロッパ、ポルトガル。

義則君は、東洋医学の気功や鍼治療
それに、ホリスティック医学
(精神、身体、環境の調和、自然治癒力を引き出す。)
心理療法のカウンセラーとして活躍し
政界著名人を顧客に持つほどの活躍をしていた。

 

 

そして地元TV局勤務の女性、マリアさんと出会い
結婚。

 

 

 

 

 

そして生涯ライフワークとしてやりたかった
世界を旅してる旅人への
温泉宿(スパヴィレッジ)の構想着工へ。

 

順風満帆な人生。
やっぱり、義則君の魂なら
やり遂げられるだろうと
僕は日本から見ていた。

 

 

 

 

 

 

2000年9月28日
奥様、マリア・フェルナンダさんの死。

 

 

神はどうして、義則君にこんな試練を
与えるのか?

 

 

生前、義則君はいつもこう言ってた。

 

「マリアがね、亡くなる間際
貴方の前に白い蝶が現れたなら
それは私だからねって言ってたよ」

「ほら、また白蝶が飛んで僕たちの跡を
着いてくるでしょう。
マリアが来てるんだよ。」

 

 

 

 

マリアさんの鎮魂のため
一緒に旅したよね。

 

ネパールからは真夜中
歩いて国境を渡りインドへ。
夜行列車に乗ってバナラシへ行き
ガンジス川で散骨したよね。

 

モロッコ旅は
偶然にもラマダン(断食月)で
サハラ砂漠行きの車ドライバーは
自分の唾を呑みながら必死で運転してたね。
テントから毛布を取って
月夜のサハラ砂漠の上で語ったよね。
よく考えたら、サソリがはってたんじゃないのかな?(笑)

 

ポルトガルも隣のスペインも
温泉に入ったね。
水着なんて持ってなかったから
下着で(笑)
誰も見てなかったものね。

 

マリアさんの思い出の品
日本で一番の場所に置いて欲しいと
義則君に託されて
使命感だけで富士山頂上に登ったのもその理由だよ。
もう今は無理だけどね(笑)

 

義則君の35年来のメキシコの友人
「尚子さん」ご家族も紹介してくれて
楽しくメキシコ旅が出来たよ。
太陽と月のピラミッドがある
テオティワカン遺跡は圧巻だったよ。

 

 

今年の10月、ポルトガルにて
右から尚子さん、義則君、ソニアさん
尚子さんの娘さんサクラちゃん。

 

 

 

たくさんの本も紹介してくれたね。
特に飯田史彦先生の「生きがいの創造」は
印象に残ってます。

「魂の生まれ変わり」を
学術的に証明した本。

「ソウルメイト」という意味も
この先生の本で知ったよ。

 

 

小林正観さんの講演が
浦和であるから見てみなって
ポルトガルから教えてくれたよね。
おかげさまで、とても勉強になったよ・

斎藤一人さんも
ハワイの教え「ホ・オポノポノ」も。
潜在意識も。

「ありがとう。」
「ツイてる!」も部屋に行ったら
飾ってあって、シンクロ感じたね。

 

 

 

あれから何年経ったかな?

義則君とは少し距離が開き
僕もサロン経営が忙しくなり
たまのメールで近況報告してたね。
特に世界情勢については
海外からでないとわからない情報も
教えてくれたね。

日本のマスメディアがどれだけインチキか
比較できたよ。

 

 

 

2024年9月28日

誉くん。 久し振り!

凄いシンクロですが、
実は今日アソーレス島のソニアと
(覚えてますか)と結婚しました。

17年間、連れ添って参りましたが
今年は色んな面で人生の転換期で、
マリアの
25回忌も重なり
今日9月
28日、命日の日に役所に結婚届けを
出してきました。

 

そう言うこともあって今年の正月は
帰省しようかと思っていた矢先です。

(高校のクラス会)
一応参加としておいて下さい。

誉くんの方も、相変わらず自分軸でやってますか!

 

 

 

このメッセージ9月28日。

嘘だろ?
3ヶ月後の12月28日だよ。

 

 

 

 

今年は、9月に母を
そして12月に友を。

大切なふたりを亡くてしまった。

 

 

母の死は覚悟はしてたよ。

でも、今回は受け取りはしたけど
さすがにまだまだ受け入れられない。

 

 

レセプションのゆかりさんにね
その話したら

「ふたりを亡くしたのはつらいけど
来年、また新しい出会いがあるわよ。」って。

有り難う。

 

 

 

今年4月に生まれた孫との出会いは
今年最高のご褒美だったよ。

 

息子、お嫁ちゃん
有り難うね。
ホマじぃは幸せだよ。

 

「別れの意味」
それは「スタートの意味」でもあるんだね。

 

 

時間は有限。

もっと誉らしく人生楽しく生きろ!って
義則君は教えてくれたね。

 

有り難う。
義則君の魂がゆっくり転生して
僕とまた再会できることを願ってるよ。

故人への1番の供養って名前を呼んで
いつまでも思い出すことなんだよね。

 

 

 

 

ごめんなさい。
今年、締めのダイヤリーは
感傷的になってしまいました。

 

自分軸で
自分らしく。
時間は有限。

皆さんとの
新しい時間を楽しみにしております。

2024年は有り難うございました。
新年は1月6日(月)から通常営業です。

良き新年になりますように。

 

 

レセプションゆかりさんもセレブ感満載で
お客様をお待ちしております☆