HOMAREです。
僕の生まれは、静岡県の浜名湖のほとり、湖西市です。
18まで、ここに居て
地元が
実家が
嫌で、東京に上京しました。
早くにやりたいこと(美容師)が
見つけられたから、できたことです。
早くひとり独立したくて
早く都会人になりたくて
早くカッコつけたくて
でもね、、40年前のこの時代
寮生活代引いての月の給与
89,000円はキツかった(笑)
なんだかんだ、カッコつけて
実家を離れても
公衆電話で
(この時代、携帯電話、メール、LINEなんぞ
無い時代っす。 いかに10円で話せるか? 賭けでした(笑)
「あっ、母さん?
あのさ。。。あの~。。
今月、厳しくてさ
送ってほしいんだけど。。。」
「はい~。お米と一緒に送るら~」
しばらくして、寮に送られてきた荷物には
お米、インスタントラーメン、海苔、ふりかけ、しらす干し
そして、封筒に入った手紙と現金。
「始末してやりなさい」
涙。。。
結局、いつも頼っていた自分がいた。
そんな母も
来年の1月1日で、93歳。
親父は、震災の年、2011に他界した。
2年前。
帰郷した時
「寿司でも食べるか?」と
期待して、連れられて来た地元回転寿司( ;∀;)。。
今年、母92歳の元旦、飯田家。
来年のお正月も
恒例行事で、家族でお寿司だねって
左の長男に言ってたんだけれど
今朝、メールが来て
「母のボケがひどくなってきた
家族の負担を減らすため、
12月から、週2日はホームに泊まらせる予定。
まともな会話が通じないので
お正月に帰ってきても、一緒に食事は無理だと思う。」
そっか。。。
僕は三男坊なので
上二人に、母を任せっぱなしで
申し訳ない気持ちでいっぱい。
盆と正月、年2回しか
帰れないから、
過ぎて行く時間の経過を知るだけ。
幼少期、母に対する
強いかまって欲しい感が
インナーチャイルドに残っている僕は
老いていく母の姿にかなりキツイものがある。
まぁ、それも受け入れることしかないんだけれどね。
老いていくって
自分も含めて、決して避けては通れないこと。
半面、生かされていることも
何か意味があること。
そして、健康がほんとに有り難いこと。
来年の元旦、
いつもと変わらない、母の笑顔を見たいな。
4年前の置手紙。。(-ω-)/
2年前。。
「誉君
段差があるので
気を付けて
上り下りするように」
コンクリに書いた直文字!(爆)
いつかの親父と母の社交ダンス♡
終戦後、満州から帰った父と母が
出会ったきっかけが
社交ダンスなのだ!
これが無かったら
僕が、Atelier HOMAREが
存在しないのだ!!
今回は、僕の親が決めてくれた!!(笑)