別れ

HOMAREです。

 

久しぶりのダイアリーはセンシティブな内容。

 

僕自身の気持ちの備忘録だから
まぁ、いいよね。

 

 

9月っていろんな思いが重なる月なのは
わかっていた。

 

数々のアーティストが
9月をテーマにした作品を作るよね。
気持ちもカラダも季節の移り変わりに
ついていけないのかな?
思いが溢れるんだろうね。

 

 

9月7日、母が天国に旅立った。

 

95歳  大往生。

 

最後に会ったのは
8月のダイヤリーに書いたお盆の頃。

 

誤嚥があるので食事はできず
静脈点滴だけでベッドに横たわってた。
名前を呼んでも目が開かない母に

「玲央の子だよ。女の子、ひ孫だよ。」

スマホの写真を見せたら、微かに目を開けて

「かわいい」って。

それが最後の言葉だった。

 

 

9月7日。


昼過ぎに、兄からの繰り返し着信。
開かなくても「母が逝った」だけが
見える
LINEの文字。

 

なんとなく、そんな連絡なんだろなって
わかっていたから仕事中の僕は
ただただ
淡々と過ぎていく時間をこなしていた。

 

 

お寺さんと葬儀屋の都合を聞き
お通夜と告別式の日程を決める。

 

三連休を控えていた僕は
自分と向き合う良い時間だと思った。

 

帰省する朝
母の棺に入れたいと思い
スケッチブックにイラストを描いた。

ひとつは、僕の最初のサロンを開業したとき
店の前のもの。

 

 

もうひとつは、親父が未だ元気で
食事ができた時の家族5人のもの。

 

 

 

この日も暑くよく晴れた日だった。

 

 

車窓から見える浜名湖。
晴れ男の僕は、どんな時も青空だ。

せめてこんな時だけは
雨でも良かったのにと、ふと天を仰いだ。

 

 

兄2人と僕だけの家族葬。


有り難いお気持ちもいただき
母にはしっかり伝えました。

 

「慣れないなぁ。」とつぶやいたら
「こんなの慣れない方が良いよ」ってね。

 

久しぶりに兄と3人で
2日間昼夜、食べながら
僕の知らない母と父のエピソードを聞いた。

 

 

戦中、戦後。


 

まだまだ知らない飯田家のルーツ。

 

 

 

 

僕は、タオルケットが好き。

母のパジャマはタオル地で
いつも僕の隣で添い寝してくれた。

僕が寝たことをわかったら
起きて片付けとかするから
僕は離れて行かないように
ずっと母のパジャマをにぎにぎしてた。

 

 

 

母は香水が好き。

メナード化粧品の販売もしてたから
母のそばに行くと、いつも良い香りがしてた。
だから、僕も香水をつける。

 

 

このCHANELのアリュールオムは
母のお気に入り。
もちろん、つけていったよ。

 

 

 

耳かきしてって、お願いしたら
柔らかく温かい膝枕で
懐中電灯をくわえて耳掃除してくれた。

忙しい母を独り占めしてるようで嬉しかった。

 

 

小学生の時の授業で
親の仕事を紹介することがあって
ひとりひとり起立して発表。


僕は「父は工場で働いてて
母はバイクに乗って集金してる」と話したら
担任の男先生もクラスのみんなも失笑してた。

 

僕はそれが不思議で仕方なく
家に帰って
「今日の授業でお母さんの仕事を話したら
みんなから笑われたよ。 恥ずかしいこと?」

 

「集金の仕事が何が悪い? おかしいこと何もない」

 

 

 

僕の家は、けして裕福ではないのはわかってた。
両親は働いてばかりで、休みに出かけたり
家族みんなで食事をしたり、そんな思い出は
なにひとつも無かった。

 

今、この仕事をしてて、お客様から
家族旅行や
外食やドライブ、
家族みんなで囲んで鍋したりと
そんな話を聞くととても羨ましい。
時代が違うのだから仕方ないことなんだけど。

 

 

正直、僕は声が大きく、ざっくばらんで
いつも笑って済まされて
父にも優しくないお節介な母が苦手で嫌いだった。
だから18になって、すぐに家を出た。

 

今はどうだろう。
父の時も同じだったけど
やっぱり涙は出ない。

 

いなくなったという事実だけ。


そして少しだけの思い出が引き寄せてくる。
それは、母の方が強く寄せる波のような気がする。
どんな時も父より母であった。

 

 

偉大である母を思うことは(親孝行)
僕が人生最後まで幸せに生きてるということ
なんだろうな。

 

 

今年の9月 やっと来た秋の気配が
そんな思いを増幅してくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

有り難う。

 

 

青空の下で、見ていてね。